仕事をしていたころ、何かを楽しむ感覚がかなり薄くなっていました。
欲しいものがあっても、選ぶのが苦痛でした。
調べるのも面倒で、買うかどうかを先延ばしにしていました。
仮に買ったとしても、どうせ無駄になるのではないかと思ってしまうこともありました。
今振り返ると、そもそもいろいろなものへの興味がなくなっていたのだと思います。
でも当時は、その自覚もあまりありませんでした。
何かを楽しめない。
欲しいものが分からない。
やってみたいことが浮かばない。
そういう状態が、いつの間にか普通になっていました。
目次
欲しいものを選ぶことすら、負担になっていた
休職前の自分は、欲しいものを選ぶことすらしんどくなっていました。
本当なら、買い物は少し楽しいもののはずです。
自分に合うものを探したり、これがあったら便利かもしれないと考えたりする時間は、前なら嫌いではなかったと思います。
でも、そのころは違いました。
何を見ても、あまり気持ちが動かない。
選ぶことが面倒に感じる。
買っても使わないのではないかと思う。
そもそも、欲しいと思うところまで気持ちが届かない。
そんな感じでした。
コーヒーも、もともとは妻と一緒に始めたものでした。
ただ、休職前のころは、どこか形だけで続けていた気がします。
好きだからやっているというより、習慣として残っているだけだったのかもしれません。
休職してから、少しずつ興味が戻ってきた
休職してすぐに、何かを楽しめるようになったわけではありません。
最初は、休んでいるのに何もできない日もありました。
頭がついていかず、何をするにも時間がかかりました。
何かをやろうとしても、途中で疲れてしまうこともありました。
それでも、少しずつ興味が戻ってきたものがありました。
コーヒー器具を買ってみようと思ったこと。
焙煎を始めてみたこと。
ラテアートをやってみたこと。
お菓子作りを始めたこと。
旅行に行きたいと思えるようになったこと。
どれも、大きな変化ではなかったかもしれません。
でも、自分にとってはかなり大きなことでした。
「やらなければいけない」ではなく、「ちょっとやってみたい」と思えた。
その感覚が戻ってきたこと自体が、少し不思議でした。
コーヒーは、また触ってみたいものになった
コーヒーは、自分の中で興味が戻ってきたものの一つです。
コーヒー器具を見て、少し気になる。
これを使ったらどうなるのだろうと思う。
豆を選んでみたいと思う。
そういう感覚が、少しずつ戻ってきました。
それまでもコーヒーは生活の中にありました。
でも、休職前はどこか形だけだったように思います。
好きなものとして触っているというより、ただ続けているだけに近かったかもしれません。
そこから、焙煎を始めました。
豆の変化を見る。
香りを確認する。
うまくいったり、いかなかったりする。
そういう時間は、考えすぎてしまう頭を少しだけ別のところに向けてくれました。
ラテアートも始めました。
もちろん、最初からうまくできるわけではありません。
でも、うまくいかないなりに、試してみたいと思えることが大事だったのだと思います。
お菓子作りやパン作りも、妻が勧めてくれた
お菓子作りやパン作りも、休職してから始めたものです。
これは、妻が勧めてくれたことも大きかったです。
何か作ってみたらどうか。
やってみたら楽しいかもしれない。
そんなふうに、こちらが動きやすい形で背中を押してくれました。
もちろん、毎回うまくいったわけではありません。
作ること自体が負担に感じる日もありました。
頭がついていかず、手順が多いものはしんどいこともありました。
それでも、何かが形になるのは少し助けになりました。
材料を用意して、混ぜて、焼いて、できあがる。
その過程は、仕事のことや将来のことを考え続けている時間とは違いました。
うまくできたときは、少しだけうれしい。
失敗しても、次はこうしてみようと思える日もある。
そういう小さな反応が、自分の中にまだ残っていたのだと思います。
料理は、苦痛だったものから少し戻ってきた
料理は、もともとまったくしなかったわけではありません。
ただ、休職直前のころはかなり苦痛になっていました。
作るのが嫌で、外食が増えていた時期もあります。
料理は、思っているより頭を使います。
何を作るか考える。
材料を確認する。
手順を組み立てる。
複数のものを同時に進める。
調子が悪いときには、その一つひとつがかなり重く感じました。
休職してからも、すぐに楽しくなったわけではありません。
ただ、少しずつ、作ることへの嫌悪感は薄れていったように思います。
お菓子作りやパン作りのように、仕事とは関係のない手触りのある作業を通して、台所に立つことへの抵抗も少し変わっていったのかもしれません。
旅行は、楽しめるときと楽しめないときがあった
旅行も、少しずつ行きたいと思えるようになりました。
ただ、旅行はいつも楽しめたわけではありません。
知らない場所に行くと、頭がついていかなくなることがありました。
予定を考えたり、移動したり、知らない場所で判断したりすることが負担になって、混乱してしまうこともありました。
そのせいで、妻に迷惑をかけたこともあります。
だから、自分には予定を詰め込む旅行より、ホテルステイのようにゆっくり過ごす形のほうが向いていました。
どこかに行くこと自体よりも、場所を少し変えて、静かに過ごす。
それくらいのほうが、自分にはちょうどよかったのだと思います。
旅行に行きたいと思えるようになったことは変化でした。
でも、旅行なら何でも楽しめるほど回復していたわけではありませんでした。
まだ楽しめなかったものもあった
興味が戻ってきたものがある一方で、まだ楽しめなかったものもあります。
服には、しばらくほとんど興味がありませんでした。
読書も、以前ほどできていませんでした。
アニメや映画、ドラマも、あまり見ていなかった時期があります。
何かを見るにも、読むにも、頭の余白が必要です。
ただ画面を見ているだけのようで、実際には内容を追ったり、感情を動かしたりする力が要ります。
その力が、当時はあまり残っていなかったのだと思います。
だから、興味が戻ってきたといっても、全部が一気に戻ったわけではありませんでした。
戻ってきたものもあれば、まだ遠いものもありました。
物欲が戻ると、お金を使う不安も出てきた
物欲が戻ってきたことは、うれしい変化でもありました。
でも同時に、お金を使う不安も出てきました。
休職中なのに、本当に買っていいのだろうか。
今は興味があるけれど、休職が終わったらまた使わなくなるのではないか。
旅行で赤字になっても大丈夫なのだろうか。
そんなことを考えることがありました。
欲しいと思えるようになった。
でも、買うことには不安がある。
この二つは、いつも近くにありました。
特に休職中は、収入や今後のことも気になります。
興味が戻ってきたからといって、何でも気軽に買えるわけではありませんでした。
それでも、興味が戻ったこと自体は、自分にとって大事だったと思います。
妻は、興味が戻ることを止めずにいてくれた
この時期、妻はかなり見守ってくれていたと思います。
お菓子作りやパン作りを勧めてくれたこともそうですし、興味があることにはお金を使ってもいいと言ってくれました。
文句を言わずに、買っていいよと言ってくれることもありました。
もちろん、家計の不安がなかったわけではないと思います。
でも、そこで強く止められていたら、自分はまた何もできなくなっていたかもしれません。
妻は、優しく見守ってくれることもあれば、ときに厳しくアドバイスをくれることもありました。
ただ甘やかすだけではなく、でも無理に引っ張るわけでもなく、そのときの自分に合わせてくれていたのだと思います。
今振り返ると、興味が戻りかけていたものを、妻が潰さずにいてくれたことは大きかったです。
楽しいと思えることは、やはり大事だった
楽しいと思えることは、大事だったと思います。
それは、前向きに頑張るためというより、自分がまだ何かに反応できることを確認するためだったのかもしれません。
コーヒー器具を見て、少し気になる。
焙煎してみたいと思う。
ラテアートをやってみたいと思う。
お菓子やパンを作ってみる。
旅行に行きたいと思う。
一つひとつは小さいことです。
でも、当時の自分にとっては、止まっていた感覚が少し動いたような出来事でした。
完全に回復したわけではありません。
頭がついていかない感覚はまだありました。
楽しめる日もあれば、楽しめない日もありました。
それでも、何も欲しくなかった時期のあとで、少しだけ欲しいものが出てきた。
何も楽しくなかった時期のあとで、少しだけやってみたいことが出てきた。
その変化は、たぶん小さく見えて、かなり大きかったのだと思います。

コメントを残す